大判例

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東京高等裁判所 昭和40年(ラ)425号 決定

抗告人は「原審判を取り消す。抗告人が東京都千代田区神田神保町二丁目二番地に母松岡静江、氏名松岡孝子生年月日大正一五年九月一六日として就籍することを許可する」との裁判を求め、その理由として末尾添付の抗告理由書及び、抗告理由補充書記載のとおり主張した。

記録を精査するに、抗告人が日本国の国籍を有すると主張する事実は、抗告人本人の記憶による陳述以外に拠るべき資料はなにも存しない。

記録編綴の東京家庭裁判所調査官平知盛作成の調査報告書によると、抗告人は大正一五年九月一六日生れで、父は朝鮮人で、邦名は原川秋一(本名は不詳)と称し、当時朝鮮平壌市若松町に居住し、同所に本妻(朝鮮人)をおき、樺太栄浜郡落合町仲通二五番地に抗告人の母松岡静江を妾としておき「天徳組」なる看板を掲げ土木建築請負業をしていて月に一回位来ていたが、抗告人が落合第二尋常小学校三、四年頃父に連れられて上記父の本妻方に行き小学校六年頃再び父に連れられて樺太に戻り小学校を卒業、その後落合高等女学校に入学した昭和一四年頃朝鮮から父危篤の知らせを受け母と共に朝鮮に渡つたが、父は既に死亡していたので、そのまゝそこに留り(母のみは約一年後に樺太に帰る)、昭和一九年春になつて父の弟原川秋二(樺太で父の後を継ぎ天徳組を経営)と共に樺太に帰つたところ、母はすでに松岡富次郎と同棲中でありそのうち同人が抗告人にいたずらをしたので、昭和二〇年春頃家出して上京し、現在の夫鄭竜文(朝鮮人)と同棲し、二男一女を出生し現在に至つた、ということである。

右事実によると抗告人の父は朝鮮人原川秋一であり、母なる松岡静江は同人の内縁の妻で、抗告人は右両名間に生れたことが推認されるところ、抗告人が父によつて認知された事実を認め得る資料は存在しない(なお抗告人は、父は松岡富次郎なる日本人であると主張するが、前掲調査報告書によると、抗告人は右主張は虚偽である旨陳述していることが認められ、他に右事実を認めるに足りる証拠がない)のであるから、右松岡静江が抗告人の出生当時日本人であつたことが確定されなければならない。

前掲調査報告書によると、現在母の生死等の消息は判らず、抗告人は母の戸籍関係親戚知人等も全然知らないということであり、原裁判所における厚生省援護局、外務省アジヤ局北東アジヤ課外地整理室、社団法人全国樺太連盟及び元樺太栄浜町落合第一小学校の校長の職に在つた同法人常務理事金子利信についての調査の結果によるも樺太栄浜郡落合町に松岡静江なる人物が居住していたか否かは不明であるというのである。抗告人の陳述によれば、抗告人は落合町第二小学校を卒業し、落合高等女学校に二年まで在学したというに拘らず、前記のように母の出身関係はもちろん小学校、女学校ともに担任その他の先生、学友についてもその氏名を全然思い出せないというのであつて、その陳述自体極めて不自然であり、前記調査の結果を勘案しても、抗告人の陳述だけで抗告人の母が松岡静江であり同人が抗告人の出生当時日本人であるとの心証を得ることは困難であるといわなければならない。

次に抗告人が樺太において出生したか否かの点についても、前記抗告人の父が朝鮮人であり平壌市に居住していたこと、抗告人が幼時朝鮮と樺太間を行き来していたことその他諸般の事情を勘案してみるとこの点に関する抗告人の陳述のみで、抗告人が樺太で出生した事実を認定するには困難であるといわなければならない。

抗告人提出の千代田区選挙管理委員会委員長作成の選挙権資格証明書、千代田区長遠山景光作成の証明書、住民票謄本東京都発行の母子手帳写によれば抗告人が選挙人名簿及び住民票に登録されていること、国民年金、国民健康保険に加入していること及び母子手帳を交付されていることが認められるが、右はいずれも届出によつて行はれるものであつて、抗告人が日本国の国籍を有することを決定づける資料とはし難い。

そうすると、抗告人の出生当時施行されていた旧国籍法第一条ないし第四条に該当する事由の認められない本件では抗告人の就籍許可の申立はこれを認容するに由ないものであり、これを却下した原審判を正当としなければならない。

(石田哲 杉山 唐松)

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